料理はガラクタ
これもまたガラクタです。
自分が楽しいからこそ生まれた料理
我楽多って漢字を知ったら、ガラクタって素晴らしい言葉だと
作る人間がその料理の味を決めるなら、美味しい料理は全て共通してガラクタであるはずなんじゃないかと思うのです。
美味しくて、綺麗で、何かストーリーがあったり、込められた意味があったり、誰かへの敬意だったり
意図として作られた料理は作った人の我楽多なはず。
作った本人がその料理に気持ちが入ってるからこそ、その料理が作り手を離れ一皿として食べる人が向き合う価値がある。
高級なお寿司だから一口に集中するのか、それとも、その背景にその一貫に込められた背景を見たくて目を閉じて食べるのか、いろいろと理由は人それぞれで間違いもなく正解もないけれども、
作っている人に気持ちがなければ、火の無い所に煙は立たないと思うのです。
料理は作っている時は作っている人の物
食べる人の前に置かれた瞬間に、食べる人の物になる
その切り替わる一瞬で死んでしまって欲しくないから
我楽多料理には気持ちが宿っているんです。