沢山経験する事が楽しめる人になれる

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昨夜はサンセール

夏の暑い日にはピッタリなソービニヨンブラン

暑い時に食べたくなるものがあるのと同じように暑い時に飲みたくなるワイン

 

色々な事を楽しむためには、そういった経験があるかないかで楽しめるかどうかになる

 

例えば、大人は美味しいと感じるものも初めて食べる子供はわからないという感情が正解だと思います。

しかし大人は初めて食べる物でも、美味しいと感じられます。

それは、それに似たものの味と比べる事が出来るからです。

 

特に沢山食べた機会の多い物に対しては、よりはっきりと見えてくるものなんじゃないでしょうか。

 

花火を見ながらビール

これは、ビール好きには容易に想像できる美味しさです。

その銘柄が、初めて飲むビールだった時どのビールが一番合うか?という感情になるんだと思います。

それも、その人の経験の中で。

 

アート作品も、美術館や個展に足を運んで回数を重ねれば重ねる程、作品と会話を楽しめるようになるんだと思います。

 

 

 

料理はガラクタ

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これもまたガラクタです。

自分が楽しいからこそ生まれた料理

我楽多って漢字を知ったら、ガラクタって素晴らしい言葉だと

 

作る人間がその料理の味を決めるなら、美味しい料理は全て共通してガラクタであるはずなんじゃないかと思うのです。

 

美味しくて、綺麗で、何かストーリーがあったり、込められた意味があったり、誰かへの敬意だったり

意図として作られた料理は作った人の我楽多なはず。

 

作った本人がその料理に気持ちが入ってるからこそ、その料理が作り手を離れ一皿として食べる人が向き合う価値がある。

 

高級なお寿司だから一口に集中するのか、それとも、その背景にその一貫に込められた背景を見たくて目を閉じて食べるのか、いろいろと理由は人それぞれで間違いもなく正解もないけれども、

作っている人に気持ちがなければ、火の無い所に煙は立たないと思うのです。

 

料理は作っている時は作っている人の物

食べる人の前に置かれた瞬間に、食べる人の物になる

 

その切り替わる一瞬で死んでしまって欲しくないから

我楽多料理には気持ちが宿っているんです。

古語による芸術的表現

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物という言葉が古語では何を示すか、ご存知の方少ないと思います。

物語 物思い 物悲しい 物凄い などといった表現はよく聞きますが、その物って何かというと

古語基礎語辞典 によると

人の力ではどうしようも出来ない事 、力、

とあり、自然とそうなってしまうということだそうです。

芸術的なものには物としての魂に似たものが存在する事を意味していると思うのです。

例えば、歌を聴く時

その作った人の歌を聴きたくて聴くことは少ないと思います。

その曲が一人歩きを始めて聞いてる人の物になったからだ、ということです。

もうすでに、その時点で、作った人と曲は離れた存在になっています。

曲を聴く時、作った人の事は頭の中に浮かんでこないですよね。

 

料理は、食べ物である事が前提なので芸術として捉える事の前に空腹を満たすものではあるんですが、

ですが、芸術の定義が人を感動させる、人の心を動かす物ならば、料理芸術は存在すると思うのです。

 

そんな物として一人歩きをする、出来る一皿を創り続けたいと思っています。

 

 

どんな風に感じてもらいたいかは、人それぞれで自由に感じてもらえればいいと思います。

ただ、何かを感じて欲しいと

 

毎月、変わるその月毎のメニューにはそんな気持ちを込めて、自分の想像した料理を表現するためにスタッフたちが試作を繰り返し完成させています。

 

 

 

思い通りでなければいけないのに

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これは8月のデザートです。

メレンゲを2種とジャンドゥーヤのアイス

フレッシュのパッションフルーツ

ヘーゼルナッツのヌガー

これらで構成したこのデザートですが、

予想していたよりもはるかに軽く

食感、香り、味、全てのバランスが自分のイメージを超えて出来上がってしまった1皿になってしまいました。

本来なら、料理は出来上がった瞬間しか完成という形はない、時間が経ったりして変化してしまう、

特にレストランの料理はいろいろなパーツを作って組み合わせるので思い通りでなければならないのですが、試作の段階でこの体験が出来て、まだまだ自分は経験が足りないと思い知らされました。

もっともっと鮮明なイメージを想像して創造できるように

 

表現出来るという事は、最高の事だと 有名なフォトグラファーの方のお言葉にありました。

これからももっともっと完成度を上げて、記憶に残る1皿を創っていきたいと思います。

良い意味での違和感

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今回は、蜂蜜を活かすメニューを考えて見ました。

フランスの野生のラベンダーから集めた貴重な蜂蜜です。

 

ヤギのフレッシュチーズとフロマージュブラン 生クリーム

桃のコンポート生ハム オリーブオイル 少しのフルールドセル

 

一番メインで蜂蜜に合わせたかったものはヤギのフレッシュチーズです。それを繋げる為に他の材料が存在しています。見た目ためでは桃がメインに見えるかもしれませんが、メインは

蜂蜜です。

 

塩気と甘味のバランスが前菜になるか、デザートになるかのギリギリのラインどりです。

そして、ほんのりとクリームチーズではない違和感をヤギのフレッシュチーズで表現しました。

これがクリームチーズだとデザートに寄ってしまったと思います。

良い意味での違和感

デザートではないという事を感じられるということが

甘味である蜂蜜を立たせ、前菜としての構成に出来たと思います。

気付かなかったシンプルな組み合わせ 蒸しホヤとジェノベーゼパスタ

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今回はホヤとジェノベーゼを合わせてみました。

ホヤが苦手な方は多いと思いますが、以前、奥さんから蒸しホヤを仙台のお土産で買って来てもらった時にとても美味しく感じたのでホヤをどうにか創作出来ないかと思っていたところでした。

 

蒸しホヤはマヨネーズと七味で食べたので、似た感じだと、ブイヤベースについてくるアイヨリソースがすぐ浮かびましたが、なかなかその先が浮かばず、、

調べてみると以外とあったのがこのジェノベーゼでした。

 

ふと、バジルを大葉と考えれば相性が良いのは当たり前すぎる組み合わせでした。

もちろん食べてみてもとても良い出来に。

なんだか回り道をした気分でしたが、頭の中をシンプルにしておく事に気付かされた料理になりました。

絵を描く理由

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今回は、なぜ自分が絵を描き始めたかという事ですが、

料理をしていて自分の思い通りのものが作れていると思っていたのですが、そこに疑問を持った事が一番の理由でした。

はたして、本当に理想どおりのものが出来ているのか?

つまり、アウトプットです。

試しに、料理の完成図を絵を描いて見たところ細かく描けませんでした。

という事は、頭の中で出来上がっていたイメージはそれまでのレベルの完成図だったということです。

それぞれのパーツの大きさや色の加減、どんなトーンの合わせ方か、味も香りも色も

一皿の中にある全ての要素をできる限り鮮明に頭の中で作り上げる必要がありました。

そして、目で見たイラストを鉛筆で描いてみると、となりに置いてあるイラストが一度自分の目から脳に伝わり、指先に同じように描けと指示を出しても描けないのです。

これが、出来ない事には自分のイメージがいくら細分化出来たとしても形にする時には、ずれてしまっているという事なります。

そのアウトプットのトレーニングとして始めたのがチョコレートで絵を描き始めた一番の理由でした。

それから、そのきっかけになった出会いが美術家の市川考典イチカワコウスケさんでした。

市川さんの線香画の作品を見たときもの凄く衝撃的で帰って来てから沢山の人に話しました。

市川さんの技術とアーティストとしての表現力、感性、全てに憧れています。

いつか料理で何かをアートで表現するという事を完成させたいと思います。

料理は空腹を満たすためだけのものでは無いという事を証明出来たらと。